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ホラー / 怪奇 / 恐怖

妖画トロンプルイユ <入魂>

   

「先生、誰の訪れもない森の奥の館で、ひとりの少女が7人の青年たちに盲愛されて暮らすのですわ。愛ゆえにその手は真珠の鎖に繋がれ、愛ゆえに部屋の扉は内側からは開かず、愛ゆえにどの窓にも鉄格子が嵌められているのです」
「そこで少女は、朝となく昼となく?」
「もちろんですわ。少女にとって、館での暮らしは苦界そのもの。ベッドで愛を囁かれるたびに、少女の死を求める心は強くなります。そんな少女のもとに、ある日、白いローブをまとった魔女がやってくるのです。バスケットに真っ赤なリンゴを詰めた、恐ろしい森の魔女が」
「その果実は、毒入りなのでしょうな。やはり」
 百合子くんはこくりとうなずいて、籠から真紅の林檎を取り出す仕草をしてみせました。
「魔女は少女の住まう窓辺に寄り、その切なる願いに応じて、死に至る毒を仕込んだリンゴを手渡します。これさえ食べれば、果てのない生き地獄から逃れられるのだと、少女は歓喜のうちにリンゴをかじり、瞬く間に絶息。ああ、けれど少女には、少女を愛してやまない『王子』が7人もいるんですもの」
 小生は、思わず眉をしかめたかもしれません。
 百合子くんの紡ぐ物語は、あまり「良い趣味」とは言えませんでしたからな。
「魔女の毒リンゴで命を落とした姫君は、彼女を心から愛する王子のキスによって目覚めるもの。いたちごっこですわ、先生。『姫』という名の哀れな少女娼婦は、今日こそは、今日こそはと泣きながらリンゴをかじるのです」
「よろしい。承りましょう」
 小生は承諾しました。
 あまりにむごたらしい筋立てではありますが、ともあれ、さやか嬢は、そこまでされても恋い慕わずにはいられない百合子くんと、絵のなか再び相まみえることになるのです。そこにさやか嬢の安寧あれかしと、午後から画布に向かって一気呵成に――――おお。
 マダム。
 我らの愛し子、かわいいリオンが、小生の頼んだ「お使い」から戻って来たようです。それでは、少々、失礼を致しまして。小生はしばし、画室のほうへ。

 リオンかね?
 ドアは開いとるよ、さあ、お入り。
 なになに? ほう、百合子くんのマンションから、電車をふたつ乗り継いでひとりでここまで。駅からは、この暗い夜道を大急ぎで走って来たと。
 ほうほう、それはたいしたもの。
 あとで、いつもの宿題帳を持っておいで。
 今日のページに、大きな花丸をつけておかねば。
 夜道をひとりで歩いたなどと聞いたら、応接間で待っておいでのおばあさまが仰天なさるかもしれんが、なあに、構わんとも。男子たるもの、たまには冒険をしてみんとな。
 ところで、「昆虫採集」は上手く行ったかね?
 どれ……おお、よう捕まえた。上出来、上出来。
 ごらん、リオン。夢のように、幻のように美しかろう。
 これは世界にたった一匹しかいない、大変に貴重な蝶でな。
 この種の蝶は、不思議なことに、まったく同じ模様を持つものが一匹もおらんのだよ。どんなに良く似ていても、どの蝶も少しずつ違う。人間の顔が、ひとりひとり、違うように。
 そうしてこの蝶は、捕まえるのが非常に難しい。
 ある瞬間に一度しか現れず、こちらが焦れば焦るほど、ひらり、ひらりと舞い踊り、手をすり抜けて逃げてしまう。リオンのような良い子でなければ、決して捕まえられんのだよ。
 リオンや。
 この蝶を観察して、何か気づいたことはあるかね?
 ほう、図鑑で見たことのない、変わった模様がついている?
 ふむ、たしかに。金糸で縫い取りをしたような模様も美しいが、前翅から後翅にかけて走る、この青い一本線。こう見ると、乙女の涙のようでもある。白い頬を伝う、ひと筋の涙のような。
 さあ、リオン。
 これから世にも不思議なことが起こる。
 この絵の前に立って、虫籠の扉を開けてごらん。
 なかから蝶が出てきたら、そのまま静かに見送っておやり。
 現身を離れたひとつの魂が、時のない世界へ旅立っていくのを。

 

《おわり》

 

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妖画トロンプルイユ<全2話> 第1話第2話

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